江戸時代に熱田宮宿が描かれたものには、熱田湊に浮かぶ出島が登場します。
その出島は「東浜御殿」と呼ばれ、
将軍家光上洛時の宿泊施設として建設されるも、
その後尾張徳川家の別荘として使われていたそうです。
この東浜御殿の正確な図面「熱田東御殿御指図」が、
昨年徳川林政史研究所にて偶然発見されたというニュースが届きました。
読売新聞『熱田の海上で将軍ら貴賓を接待、尾張藩のお茶屋御殿』
そこで、今年4月に設立された「宮の渡し・大瀬子地区まちづくり協議会」の
中田会長を含む役員有志3名で、
東京・目白の研究所を訪問(2019年7月16日)、
発見された資料を閲覧しました。
その図面は、縦横それぞれ120cmほどのやや厚めの特殊な和紙に、
1間尺度の100分の1程度のマス目があり、
その上に切り絵を張る形で作成されていました。
そして、名古屋城にある本丸御殿並みの施設の配置があるだけでなく、
南側の海に面した見晴らしのよい場所には、2階建ての書院があり、
また、鷹狩用の鷹の飼育施設もあるなど、新発見がぞくぞく出てきました。
さらに、完成当時とその後の取り壊し施設を色分けで明示していました。
ということは、この図面は完成後の姿を現したまさに本物の図面!
今後さらに研究を進め、
この地域のまちづくりに活かしていきたいと思っています!